塾長
奥地 大容
そこにいるという事実だけで
周りから笑いが起こる、
とにかくおもしろい先生
そこにいるという事実だけで
周りから笑いが起こる、
とにかくおもしろい先生
愛知県に奥地家の長男として生まれる。小中と優等生として育つ。たぶん、そうだったような気がする。ちなみに、夏休みの宿題は貯めるタイプ。その後、愛知県でも厳しい校風と呼ばれる高校に入学。そこで、より自由への憧憬を強める。大学進学を機に上京、その後、20歳にて、末廣との奇跡の出会い。大学院卒業後は、PC教室やプログラミング教室を運営する会社にて研鑽を積みながら、DGを設立。ちなみにDeepGroundは(奥:deep)(地:ground)に由来する。小学生や幼児の扱いは秀逸で、そのエンターテイメント性溢れる授業で、多くの受講生を魅了する。現在、DGの他にも学習支援事業会社の代表取締役を務める。
夢ある人。心の中に10や20の理想(もしくは野望)を抱えているように思われる。健康のために神経をすり減らし、お金のために散財する。色々なものに手を出し、良いと思ったものは積極的に取り入れていく柔軟な姿勢を持つ。一方「これは理想ではない」と判断した際の切り替えは早く、結果打ち捨てられた品物は数知れず。授業は正にエンターテイナー。どんな授業でも面白くできる才を持つ。授業の完成形のひとつではあるのだが、真似しようにも他者には到底真似できない。平凡を避ける傾向にあり、ありふれた道を通らない。(実際の道路でも、経営の方針でも。)ゴールへの道が一本道だと「つまらない」と判断し、より楽しさのある道を選択しているものと思われる。ただしゲームの手は堅く、王道。普段の思考の方向性を捨て、勝利を取りに行く。「勝つことが好き」とよく言っている。勝つのが好きなので、協力型ゲームはプレイしない。
その他の他己紹介「いや~私、塾長なんですけど何もしてないんですよ。愛する仲間たちがとても優秀で、気づけばここまで立派な塾になりました。私の仕事なんて、たまにフラっと現れて授業して、あとは生徒や仲間たちと談笑するだけです」などと正直に答えると「この方はとても謙虚な経営者だ」と相手が勝手に思い込んでくれるおいしい役職。というのが理想だったのですが、なんだか気が付くと仕事が増えていくんですよねぇ。「奥地さ~ん、できるっしょ?」というのを魔法の言葉か何かと勘違いしているのかもしれません。まぁ、社長にどんどん仕事を投げるんですから、パワハラとは無縁の会社ということです(笑)そういうわけで、今日も「こんなことできないですか?」に応えるべく、エクセルやらアクセスやらを使って業務改善ツールをひたすらに作成しています。その他にも、プログラミングの講座を作って授業したりしています。
これは、何といっても「選挙」ですね。実は、ワタシ、調布市議会議員選挙に出たことがありまして。特に何の相談もせず出馬したのですが、まぁ気が付くとDG4人衆が通常業務の傍ら、頑張って選挙戦を戦ってくれました。田川なんて、私よりもハマり込んで落選後の駅前挨拶で大号泣してましたからね(笑)ただ、なんて言うか、大人になってから感情が動くほどに本気になることも多くないですし、それ以上に、選挙戦なんてわけわからないものでもDGメンバーは戦力になるんだなぁと改めて認識しました。次の選挙はいつになるかな(笑)
一見変人。
中身はマジメ。そして早口。
桜島がそびえる鹿児島にて生を受け、長男の長男として、昔ながらの薩摩隼人として純粋培養される。わがまま放題、自由奔放。中学校のリトルリーグでは下級生時より活躍し、南九州チャンピオンとなるも、監督と折り合いがつかず主将を解任される。その後、大人への不信感という中2病っぽい症状を発症し、リトルリーグから進学校というちょっとだけ珍しい進路へ。大学進学とともに上京し、それと同時に中学受験の世界へ。大学院卒業後、DGに参画。DGを牛耳る(笑)金髪に短パンという一風変わった風貌で中学受験界を駆け巡る風雲児。また、1000を超えるボードゲームに精通するなど、考える経験のプロデュース、遊び×学びにも明るい。私生活では、3人娘の父で、家庭内のオスは犬だけ。右投げ左利き両打ち
世田谷の論破王。しかし彼の一番強みは議論でも詭弁でもなく意思の強さだと私は考えております。某漫画の言葉を借りて、強さを「自らの意思を望む通りに実現する力」と定義するならば彼の強さは東京一と言って良いでしょう。意思が強く芯があるのはとてもいいことなのですが、そこはせめて仕事の分野だけにしてもらって、私が青椒肉絲(彼の苦手なピーマンが入っている)を注文しようとするのを邪魔しないでください。
その他の他己紹介DGでの仕事…なんでしょうね?もちろん、普通に授業をしたり、宿題を見たり、そういうこともやっています。ただ、気が付くと使ったこともないICT機器を調べたり、チラシを作ったり、他の誰かと鬼のようにslackでやり取りしたり、たぶん、「塾講師」以外の仕事が私の仕事ですね。例えば、他社の方と飲みに行ったりとか(笑)
教務面では、「仕組みを作ること」が私の主な仕事です。新規講座の概要やカリキュラム、教材構成などを決めていきます。DGのメンバーは職人気質なヤツらばかりなので、野放しにしておくといつまでも教材作成を突き詰めようとしますから、私の方でアウトラインを作っていきます。そうすると、アウトラインをちょっとだけ超えたイイ感じに仕上がります(笑)
今では、授業に入る数は多くないですが、最も活躍する場面は「早朝オンライン」ですね。他のメンバーがみんな朝が超絶弱いのですが、私は根っからのショートスリーパーなので、何の苦も無く朝6時から授業できていますね。二日酔いがないのと睡眠時間が短くていい体に生んでくれた親には感謝です!
一番好きな仕事は「保護者会」ですね。多くの人の前で話したり、物を書いたりするのは大好物です。書くのはもちろん、絵ではありませんよ。
今の新館に引っ越したときのことはよく覚えています!中型のトラックをレンタルして、自分たちで徹夜で椅子や机を運び出しました。運転ですか?もちろん田川です(笑)
電気が通る前に暗い中タイルカーペットを敷いたり、最初はみんなで楽しく机や椅子を作っていたはずが、いつしか、無言に…。しかも、このとき長女は0歳でした。やってるときはもちろん大変なんですが、今振り返ってみるとイイ思い出になっています。若かったですね。とはいえ、そのあとも、レイアウト変更などを含め、全部自分たちでやっているので、なんだかんだでじぶんたちで やるのが好きなんだと思います(笑)
夏期講習になるとCCレモンの踊りをする
目力ハンパない先生
夏暑く冬寒い秋田県の“例の村”の隣の村にて、櫻井家の長男として生を受ける。ちなみに、体は縦にも横にも3つ下の弟の方が大きく、見た目も相俟って弟と誤認されることが多い。厳しい環境で育ってきた結果、多少の理不尽を飲み込む精神を手に入れる。がしかし、辛いものと魚介類は一切の飲み込めないという理不尽さを併せ持つ。小学校時は、3月生まれの不遇もありスポーツよりも、漫画や電化製品の分解に精を出す。るろうに剣心に感化され、中学校では剣道部に入部するも、芽は出ず中学とともに卒業。高校時代のテーマは“脱秋田”。無事に、大学進学という口実で上京することに成功する。上京後は、大学で奥地と出会う。学科も違う二人がなぜ出会ったのか、今となっては誰も知る由もないが、結果として、これが運命の出会いとなる。その後、書けないことも書けることも色々あって、創業時から奥地とともにDGを支える。DG随一の精緻な正統派授業で、特に基礎クラスの生徒からの信頼は厚い。また、誰もが惹かれるソプラノボイスから、「みちのくの美声」の異名を持ち、例年、合格者祝賀会ではその美声に全員が酔いしれる。主食は糖分。
頭脳明晰で「ほどほど」という言葉を知らない研究肌の人間。
日常のあらゆる場面で論理的に考えて行動をする様子は、自分の頭の出来とは違うものを感じる。4人の中で一番の子供好きであるが、初対面ではあまり笑わないため誤解されることが多い。彼の表には出ない優しさに気が付いたときは、卒業間近という生徒も少なくない。気難しく、融通が利かない部分はあるが、そこには生徒への愛が存在するのだ!
あまり感情の起伏がなく、表に彼の感情が表れることはあまりないのだが、彼は決して最後まで生徒を諦めず、生徒の合格を諦めない熱血漢である。
そして、私は思う。絶対に塾で随一の「変わっている人」だ。仕事をするときのBGMはマイナーな「びじゅチューン」。カラオケではちょい古いアニソンというアニソンを熱唱。「え~!!」と言いながらもマイクを受け取り熱唱する彼のマイクの持ち方は、朝7時から30分10円の一人カラオケに通い詰めるだけのことはある!
彼はまだまだ謎多き人物。今後の彼との人生が楽しみです!
その他の他己紹介
一言でいうと「理系」。私の全仕事量のうち、算数の教材作成が最も比重の大きい業務となっています。現在のところ、5年生の算数と6年生の算数はおおよそ完成。塾のレギュラー授業を動かせる一通りの教材が揃っています。しかし、他教員というか、末廣先生からの提案(あくまで提案です)により、毎年何かしらの教材追加や変更、もしくは新規講座開講が発生。毎年作っても作っても終わらない、怪談話のような教材作成に追われています。これこそリアルニュートン算!
一方、理科は資料・授業どちらも完全に一任されております。自分で作った教材で自分で授業をするので、比較的安穏な授業です。ただし、末廣先生の鬼チェックが入りにくいので、こちらは自主的に毎年改良を続けています。そんな感じで多いときは全学年の算数と理科を担当しますので、教壇に立つ機会はおそらく講師陣で最多となっています。反対に、授業以外で人前に立つ機会はほとんどありません。人前が苦手なので(笑)保護者会や学校説明会などに出ることが皆無なもので、生徒以外の人からは謎の多い教員として認識されているはずです。保護者の方には生徒からの口伝で私の人物像が伝えられるので、一部では尾ひれのついた噂が広まっているとか・・・?また、ボードゲームに関しては「説明書読み」&「インスト」を担当しています。
キツイ労働作業の多いDGにおいて、もっともキツイと記憶しているのが、BBQイベント前夜の突貫作業。毎回、教室の片づけ・各種組み立て・段取りのチェックなどを徹夜で行っています。しかも“ニテツ”です。それ以外にも、空き時間をすべて準備に費やすので、まさしく“狂気の沙汰”と言えるのかもしれません。そして、当日のイベントそのものの記憶は、BBQ時のお酒によってきれいに吹き飛びます。
アメとムチを使い分け、
時には皆のお母さんのような存在にもなる、
まさに「塾の母」
熊本の阿蘇で乳幼児期を過ごし、3歳から鹿児島の霧島の山の中で野生児として育つ。ど田舎にもかかわらず中学受験、さらに高校から親元を離れ寮生活を送る。中高と空手道に邁進し、黒帯獲得。空手二段。大学受験に大敗し、二浪の末東京の大学に進学。
※当時、アウシュビッツ収容所と揶揄された予備校で末廣と出会う
大学の学費や生活費など働きながら捻出する苦学生期を過ごす。
※末廣との同棲生活
リーマンショック後の転職活動で結婚や出産を見据え、気が付くとDGへ流れつく。
DGに入社後は、頭角を現し、授業だけでなく、経理や面談も担当。DGの屋台骨として活躍中。現在3人姉妹のママ。幼稚園や小学校でも活躍中♪
火の国の女の遺伝子を色濃く受け継ぐ女史。娘たち、生徒、お母さま等、DGを取り巻く女子たちを一手に束ね邁進する姿は正しく「コンピューター付きだがお構いなしに動くブルドーザー」。面談5時間、出産当日のオンライン添削、合格者祝賀会での父親へのお説教など、DGでの強烈なエピソードには事欠かない。仕事、家庭、子育てに全力投球。「ライフワークバランスなんて全部やれば関係なくね?」といった、昭和の精神を持ちながら令和の時代を生きる姿は正しく現代を生きる母親像のニューノーマル。お母さま方からの熱烈な支持を受ける。
その他の他己紹介国語・社会・算数の授業や教材作成などの先生業は普通にやります。その他には、雑用×雑用×雑用、気が付いたこと×気が付いたこと×気が付いたことですね。他のメンバーが全くと言っていいほど気が付かないので(笑)それ以外には、受験生&母、主に母のメンタルケアですね。母親になってから、より頼られる機会が増えたような気がします。それと、面談は私の仕事です。平均2時間。くらいかな?あとは、会社の心臓部である経理ですね。財布の紐は私がしっかり握ります。
3人の娘たちを出産した日はそれぞれ覚えています。
1人目・・・予定日から1か月以上も早く生まれました。その日は前の日から違和感を感じて眠れず、某中学校の塾対象の説明会だったので、ちょっと大げさに電話して順番待ちせずに検査してもらおうと軽い気持ちで病院に行くと、なんと緊急手術になりました。入院予定が先だったこともあり、引継ぎもできずにバタバタと出産しました。手術前、命の選択を迫られ、瞬間的に子供優先を宣言して、何のためらいもなく死ぬ決断をしたのを覚えています。結果生きててラッキー♪ただ、引継ぎ前に出産を迎えたこともあり、この後、末廣と奥地は二日連続徹夜になりました(笑)
2人目・・・春期講習中の生徒に行ってきますと告げて向かいました。病室で仕事ができるようにパソコンやWi-Fiルーターを完備して入院し、手術直前まで仕事をして先生に怒られました。
3人目・・・コロナ渦の出産で手術日の直前まで仕事をして、出産翌日にはオンラインでつないで病院の待合室から授業に参加しました。コロナのこともあり、各ご家庭がzoomでつながって、たくさんの人に生まれたての我が子をお披露目出来たうえに、zoomのおかげで色々な人との距離が近くに感じて入院している気がしない出産でした。出産日以外はオンライン授業をきちんと担当できたし、1人目から6年たっているのに、より自分がパワフルになっている気がしました。